2005年09月19日

はじめに

このホームページは、故・大野 貢の今年で七回忌を期して、アメリカ・カンザス州立大学で博士号を取られ早々と就職もイギリスの研究所に決まった杉尾明子さんが、在学中私のお茶の教室に通われていた関係から開いて下さり、又、明子さんの弟様、お母様も、いろいろご協力頂きまして広く皆様方に楽しんで頂ける事になり感謝で一杯です。   有難う御座いました。

  故人に初めて会った1986年7月3日、熱っぽく300年先の自分を語る魅力ある人でした。その後も多くの方々に何に彼につけて魅力を感じさせる人でした。

 1992年、天皇皇后両陛下に、ガラスの姫路城を赤坂御所にて献上、(文芸春秋H−5、11月、ガラスの城、寄稿)1994年にはセントルイスで再びお逢いさせて頂き、日本丸を献上。夫々固い握手と40分もの長い語らいをさせて頂きましたことは、私達には大変光栄な事でございました。
偏に、故水島三一郎東京大学名誉教授、東園基文元掌典長様、手塚英臣侍従様に感謝致します。


tennokogo.jpg




1999年病に臥し東大名誉教授井口洋夫先生のご奔走によって、叙勲の内示にもカンザス総領事藤原稔由様を通じ ”配慮するように“とのお言葉を10月12日に賜り、また、 逝去に際して手塚英臣侍従様より ”弔意を表します”との、お言葉を賜りました。

kunsho mini.jpg

多くの方々より、よく、ガラス工芸家大野さんは気難しくて大変なのでは?と聞かれましたが、明るくて陽気で気さくで13年と短い間でしたが知る人ぞ知る、人を愛し、大切にする楽しい人でした。

先妻君代さんには “カンサスの日本人“ の自伝には、
ガラスの日光東照宮の本殿の右脇庭に根元から二本に別れて立っている、夫婦松が     ある。その幹に、妻にささげる句を記した。
永に 契り変わらぬ おち松葉  貢
誰にも気づかれないように、わざと幹をひねり、松皮のように見せかけて、隠文字に
なっている。本殿の基礎石に 於、アメリカ作之。
M K OHNO と 妻の名、君代の頭文字を記す。感謝の心をこめて。

と、あります。

その後の作品には私の名前も。航空母艦”ミズーりー”には、私の誕生日を、 心優しい人でした。

Shussei no hi.jpg

馬頭町実家、出生の碑の前で。 1996年2月、大野斉兄・ヒサエ、大森和子妹、生田目秀夫・
琳子妹、相川幸平・美登里妹、大野光男・睦子妹達が神前建立して下さいました。
どんなにか喜んだことでした。 
兄妹に深く感謝して、故人がこの碑につけた"ガラスに遊ぶ”をホームページのタイトルにしました。

写真をクリックすると大きくなります。
posted by 大野 直 at 05:28| あんなこと、こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。